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はじめに

現在、関西圏の大学で准教授を務めておられるS先生は、大学院博士課程1年に在学中の2011年、加害者の一方的な不注意により交通事故に遭い、高次脳機能障害を生じました。

S先生は、いったんは研究者の道が危ぶまれる危機に陥りながらも、決して研究を諦めないという強い気持ちと不断の努力、そして持ち前の前向きさと明るさで、研究者になる夢を叶え、現在も自身が専門とされる分野で研究に取り組み、国内外で論文を発表し続け、所属する学会でもこれまで複数の学会賞を受賞するなど活躍を続けています。

在学中に事故に遭い高次脳機能障害を生じた方々やその親御様は、描いていた進路や夢、今後の人生がどうなってしまうのかと日々不安におびえています。今回、当事務所の大学生の依頼者様2名とその親御様とS先生の所属大学を訪問し、同じく在学中に事故に遭い高次脳機能障害を生じたS先生がどのようにして症状を乗り越え夢を実現させていったかをお聞きして参りました。

S先生は、

『事故前とは別の、操作方法も前への進み方すらも分からない不便な乗り物に突然乗せ換えられてしまったような感覚でした』

『物を考えるうえで使う頭の中のホワイトボードの枚数やその広さが消えてしまったり、極端に狭くなってしまったような感覚でした』

と事故後のご自身を振り返り、症状への不安やその具体的な対処克服方法、現在の心境、高次脳機能障害に苦しんでおられる方へのメッセージなど、大変わかりやすく示唆に富む有難いお話をたくさんしていただきました。

S先生のお話やお言葉は、現在、高次脳機能障害に苦しむ皆様やその親御様に、必ずや今後の人生を前向きに進んでいける大きな力になると思いますし、また、高次脳機能障害の病態をとてもわかりやすい表現で言語化していただきましたので、高次脳機能障害の病態を具体的に理解していただく一助として、以下ご紹介いたします。


S先生と交通事故のこと


S先生は、本件事故当時、研究者としての道を進むため大学院博士課程1年に在学しており、修士論文が国際専門誌に掲載され、指導教授からは「稀有なリーダーシップやコミュニケーション能力を有し、非常にスケールの大きい問題に取り組める貴重な学生である」と評価されるなど、類まれな研究能力と大学の研究者として必要な秀でた総合力に期待が集まり将来が有望視されていました。
その折、学内を歩行中にバイクから追突を受け、急性硬膜外出血、びまん性脳損傷を生じ、1か月間の入院を余儀なくされました。

当初は外傷さえ良くなれば、問題なく研究活動に復帰できるものと比較的楽観的に考えていました。しかし、いざ退院し大学院に戻ってみても、議論を聞いても頭に入ってこない、文章を読んでも上滑りして理解に至らない、簡単で日常的なものでも同時に複数処理ができないことなどに気付き、何かがおかしいと思い始めました。ただ、入院期間中やその後の通院においても、この時点では、高次脳機能障害の可能性が医師から示唆されたり、検査を打診されたことも無かったとのことです。

自身の身に起こっている異変は認識しているものの、それが何かはわからず、ただ時間を要するということだけを直感し、結果として大学院の休学を選択されました。その期間、東京の実家に戻り、大学受験の際にお世話になっていた学習塾の空き時間にゆっくりでも研究を進めつつ、塾講師の仕事を手伝っていました。

『新しい知識をいれることは困難でしたが、それまで得てきた知識は使えて、人に伝えることはできた』

ことから、塾講師の仕事は何とかできたそうです。

『ただ、それもその時の状況・状態を理解して雇用してくれた塾長の方の配慮があってこそ』

と語ります。

しかしながら、休学から半年が経った時点でもなお一向に、新規的な情報を取り入れたり、整理したり、長時間思考したり、といった研究活動に取り組むうえで必要な能力については、回復の実感が得られませんでした。そして、このまま研究者としての道を諦め、別の道を模索せざるを得ないのかと不安に陥ると同時に、何らかの医学的措置が必要な状態なのではないかと考え始めていました。


S先生のご家族はどう向き合ってこられたか


またこの時期、ご家族は、S先生がご自身で動き出すことをただ静かに見守っていてくれていたようです。

『“見守る”という言い方もできますが、“背中を押すことも、その場に引き留めることも、確信を持ってはたらきかけることができなかった”というのも正直なところではなかったかと思います。これは家族を責める意図や意味は全くありません。本人ですら自分の身に何が生じているのかも分からない、将来の進むべき道も進み方自体も分からないでいる人間を前にして、確たる気持ちで“行け”“戻れ”と言える家族はなかなかいないでしょう。衣食住の面で安心して当座の生活を送れる環境を提供し、あとは信じて任せてくれていた、というだけで十分でした。』

『もしかすると高次脳機能障害やその可能性が疑われている状況の方の、その保護者やご家族の方のなかには、能動的にはたらきかける術がないことをもって“何もできない”とご自身を責める気持ちを持つ方もいるかもしれませんが、どうかそうは思わないでほしい。』

ことを強調されていました。


S先生は高次脳機能障害をどう克服していったか


事故から8ヶ月後、S先生は、交通事故被害者や脳機能に関する本を読んだり、インターネットで情報を収集するなどして、ようやくご自身に高次脳機能障害が生じている可能性について考え至りました。そして、ご自身で東京都庁の担当部署などの関係機関に問い合わせるなどして、近隣の高次脳機能障害に詳しい病院に通院することにしました。

しかし、ここで新たな問題にS先生は直面します。病院での諸検査の結果、事故前とは著しく低下したと推測されるとはいえ、事故後であっても知能指数の全体的な分布の上では依然として高い水準にあったことから、当初診断にあたった医師からは「IQが高いのでリハビリテーションが必要な状態とはいえない」と診断されてしまいました
(余談ではありますが、自賠責保険での後遺障害認定の場面においても各種検査結果の数値は平均値よりもかなり高く、被害者請求時は高次脳機能障害が否定されました。そこで、セカンド・オピニオンとして受診した医師や大学院の指導教授の意見書、成績表等を添えて異議申立をしてようやく高次脳機能障害が認められたという経緯がございましたので、もともと高い知能を有していた方の高次脳機能障害での後遺障害等級認定には注意が必要です)。

その一方で、大変理解のある優秀な言語聴覚士の先生と巡り合うこともできました。その言語聴覚士の方が「もともと高い能力を有して研究活動に取り組んでおり、その高い能力が減退したことは確かであるから、検査結果で全体の平均値よりも良い数値が出ているからと言って高次脳機能障害を否定すべきではない」と医師に対し掛け合ってくれ、結果として、その病院で適切なリハビリを受けることができるようになりました。

そこから、S先生はその言語聴覚士の先生と二人三脚で、100マス計算や100から3と7を交互に暗算で引いていくなど、地道な単純作業に黙々と取り組んでいきました。これらはいずれも「頭の中に情報を置きながら、決まったルールの上で進めることが必要な作業」であり、その機能を回復させる目的がありました。リハビリ開始当初はわずか数分の100マス計算を一度行うだけで、その日は何も手につかず、2,3時間の午睡が必要になるほど脳が疲れてしまったそうです。また、「わずか数分の集中で体力を使い切ってしまう」という自身の状態に精神的にも強いストレスを覚えていた、とのことでした。

この記事の冒頭でも紹介しましたが、S先生は、

『今までとは別の乗り物に乗っているようでした』

と、当時を振り返られました。
開頭のための手術痕を除いて目立った外傷や身体部位の欠損はなく、しかしながら考えるということにおいては全くうまく行かず、自身の扱い方も分からない点を捉え、

『ある日突然にそれまでと同じ、例えば自動車の形をした乗り物に乗っているのに前に進まなくなり、よくよく見ればエンジンがなくなっていて、進め方にしてもアクセルを踏むのではなく、貧弱なペダルを漕ぐことになっていて、それによりとてつもなく重い車体をやっと少しだけ進められるようだった。そんな乗り物に前触れもなく理不尽に乗せ換えられてしまったようだった』

とのことです。

また、高次脳機能障害を持つ当人の感覚ということに関連して、ご相談を受けた当時のメモを振り返ると、S先生は、

『広げられるテーブルが狭くなり、そのテーブルに置いてあるものも気づかぬうちに何者かに次々と取られて行ってしまうようだ』

ともお話されていました。
他方で、リハビリを重ねていく日々のなか、

『運動することも重要だった』

とS先生は言います。
具体的には長距離を走ったり、筋トレをしたり、これらにリハビリ期間中に取り組んでいた理由について、

『脳機能と運動に関する研究をまとめた書籍(※)を読み、実際に取り入れてみようと思ったから、というのもありますが、続けていくうちにそれ自体が自身の精神的支えになっていることに気づき、積極的に継続したくなっていった』(※『脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方』ジョン・J・レイティら著、NHK出版。筆頭著者はハーバード大学医学部の精神医学の臨床准教授。)

と言います。

『少なくとも私が経験した高次脳機能障害のリハビリは、ということですが、やったらやった分だけ明確で直線的に効果が実感できるものではありません。短くない期間を要し、状態と向き合い、身体的にも精神的にも疲弊します。その日々の中、走るほどに走行距離が伸び、速くなり、ウエイトを重ねれば扱える重量が増えていく、という分かりやすい身体能力の向上は、誰との勝ち負けでもありませんが私を支えてくれていたと思います。』


再び研究者としての道に向かって


そうして事故から1年が過ぎると、言語聴覚士の先生から「ここから先の研究者としての能力は現場で取り戻していくしかない」との助言を受け、研究室に復帰することにしました。しかしながらそれも簡単ではなく、記憶力や理解力のみならず、研究者として必須な専門的知識の習得や問題解決能力の著しい低下に加え、頭痛や疲労感などで研究活動や博士論文の執筆作業は困難を極めました。

そのころの様子を、指導教授は「一見すると他の学生と変わらず生活を送れているようにも思えますが、深い思考を要する作業に入ると途端に、様々な点でダメになってしまう。・・・医療従事者でさえ患者に障害が生じていることに気付かない場合もあるとのことですが、彼と照らし合わせると妙に納得したところがありました。」と記されています。

S先生は、自分には研究しか道がない、とすがる思いでまさに必死で研究・執筆活動に取り組み、ご自身では「いま振り返ってみるとやはり不十分で不出来な内容で、悔しい気持ちがはっきりとある」とのことですが、何とか博士論文を完成させ、事故から4年後の2015年に博士号を取得し、その年にある大学の助教として無事就職されました。その後のご活躍は前述のとおりです。


S先生は高次脳機能障害にどう向き合ってこられたか


S先生は、既に15年が経過しご自身が乗り越えられてきた高次脳機能障害に対して、

『確かに、事故がなければもっと高度な研究ができたはずという思いはあります。ともすると、もっと良い研究者としてのポジションも得られていたかもしれません。が、いかにその“事故がなければ”という思いから自分を遠ざけていくかが大切でした。それができるまでには当然時間が必要でした。そしてその時間の中であったからこそ出会えた人やものごと―――例えば、妻や子どもたちや研究仲間、自分が面白いと思える自身の論文やまだ形にはなっていない断片的なアイデアや解決すべき問題、教員としての私を慕ってくれる学生や世に送り出した卒業生たち―――それらの前では、“事故がなければこうであったかもしれない自分”はもう遠く霞んで見え、どうでも良いものとさえも思えます』

とお話しされました。

また、事故前に自分がどうやって頭が良くなっていったかを常に振り返り、リハビリやトレーニングを通じ、積極的・意図的に頭を鍛えていく大切さを語っていただきました。

『誰しも生まれてから学生時代、さらには働き始めてからもなお、長い時間をかけて頭を鍛えてきたはずです。無意識的か意識的かを問わずその機能を発達させてきた、と言ったほうが正確かもしれません。覚えた知識を使ったり、複雑な情報を処理したり、予めには答えが用意されていない問題に取り組んだり、と。高次脳機能障害が生じてその脳機能が落ちたのであれば、自分が何にどう取り組み、どの時期に“頭を良くしてきたか”を振り返りつつ、頭を鍛えていかなければいけないと思いました。』

『ただ、いま思うのは、逆説的に聞こえるかもしれませんが“元の自分に戻ろう”という気持ちは捨ててしまった方が良い気もします。不可逆的な身体的・機能的損傷を受けてしまったことは事実ですし、その中で“元と同じ状態”を目指すというのは酷なゴール設定だと思います。それならば、“今よりも良い(マシ)をずっと積み重ねていく”という心持ちのほうが救いはあるでしょう。そして、実際の私もどこかの時点で切り替えられていったのではないかと思います。』

この言葉は、私も大変腑に落ち心に強く印象付けられました。
心の持ち方について語っていただいた一方で、実際的な対処法についても言及いただきました。

『複雑な情報を処理しながら、考えをまとめるという面では、例えるなら、頭の中のホワイトボードの枚数やその面積が減ってしまったようでした。必要な情報を書いてとっておき、それを参照しながら思考を進めるうえでの、その参照できる量が極端に小さくなってしまった、ということですね。』

『これについては分かりやすく、ノート、メモ、付箋をとにかく多用するようになりました。実際の紙も重要ですが、より頼りにしているのはPCやスマホ、タブレットなどのデジタルデバイスと、一元化という意味でどこでも参照できるクラウドサービスとそれを通じた各種のアプリケーションです。大げさかもしれませんが、“自分の脳の一部はデジタルに置き換えられたのだ”と思い込むようにしています』

とS先生は言います。
さらに、

『自分が何ができなくなってしまったかと見つめることは辛いことですが、でもその代替手段があるならそれでいいじゃん、と割り切っているところはあります』

と付け加えられました。

S先生から高次脳機能障害を負った被害者の方や保護者の方へのメッセージ

そして、最後に事故被害者の学生たちと保護者の方々へむけ、

『事故前に懸命に何かに取り組み、自分なりの成果を上げ、さあこれからという人ほど、事故後の自身の有り様に受ける精神的なショックは大きいと思います。リハビリもその後の生活も簡単なものではありません。いろんな面で疲れてしまうから、適度に適当でいいと思います。意識的に力を抜くこともとても大切です。』

とお話しいただきました。


さいごに


S先生のお話を聞いて、現在も高次脳機能障害に苦しむ真っただ中の依頼者様からも、「いったん何とか大学に合格はしたものの通学は無理だったので休学し、その後、リハビリを兼ねて高校卒業後1年受験予備校に通い、改めて大学に合格した」、「障害者枠での就職も考えたが、まずは一般枠で最高の結果を求めてダメなら徐々に下げていこうと思って就職活動に臨んだ」との大変参考になる前向きな経験談をお話いただきました。

弁護士丹羽も、S先生のお話をお聞きし、S先生も葛藤や辛苦の思いをされながらも、決して諦めることなく、事故後の自分に真摯に向き合い自分を受入れ、素晴らしい言語聴覚士の先生との出会いもあり、二人三脚で前向きに症状を克服してきた様子をうかがうことができました。

高次脳機能障害といってもその症状の内容や重篤さは千差万別ではあり決して一概には言うことはできませんし、今は苦しみの渦中で何もできない、する気にもなれない、という方もおられると思います。
それは交通事故被害に遭わされた身として当然のことですし、いつか自分と向き合うためにも必要な時間だと思います。
S先生にもきっとそのような時期もあったことでしょうし、S先生も「適度に適当でいい」とお話しされています。
ただ、高次脳機能障害に苦しんでいる渦中の方々にこそ、S先生のお話やお言葉を頭の片隅に置いていただき、いつかご自身が前に進んでいくときの原動力になっていくことを切に願っています。

S先生におかれましては、15年前の忌まわしい事故のことを思い出すのも憚られ、大変お忙しい中にも関わらず、前途ある若い依頼者の方々やその親御様に、真摯かつ誠実に向き合っていただき、ご自身の経験が力になればという思いで、この度貴重なお時間をいただき、すべての高次脳機能障害で苦しむ皆様への救いと希望になる、わかりやすくも大変有難いお言葉をいただいたことに心から感謝申し上げます。


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