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Ⅰ型糖尿病患者が自動車を運転中に低血糖状態による意識障害を生じ、自車を対向車線に逸脱させ、対向車と衝突し乗員3名を傷害した被告人に対し、神戸地裁第2刑事部は、令和5年11月7日無罪判決を言い渡しました。
これに伴い、同日、読売新聞神戸総局の記者様から取材をいただきましたので、低血糖症についての刑事裁判の基本的事項を整理したうえで、本件についての弁護士丹羽の見解を以下示します。

令和5年11月21日付読売新聞神戸版記事中の弁護士丹羽のコメント

『一方、懸念の声も。交通事故に詳しい丹羽洋典弁護士(愛知県弁護士会)は「血糖値の管理を客観的な数値ではなく自己判断と経験に広く委ねる結果につながりかねない」とし、「数値に基づく管理を徹底しなければ、同じような事故が起きかねない。社会的には受け入れにくい判決内容ではないか」と指摘する。』

記事はこちらの読売新聞オンラインでご覧いただけます。


低血糖状態での意識障害下での交通事故に関する刑事裁判例


糖尿病患者が自動車を運転中に低血糖状態に陥り、意識障害を生じて交通事故を起こし、危険運転致死傷罪もしくは過失運転致傷罪に問疑されることはしばしばみられ、近時では以下の刑事裁判例がみられます。

・水戸地裁平成24年11月6日判決 禁固6年
・札幌地裁平成26年2月28日判決 禁固2年
・大阪地裁令和元年5月30日判決  無罪
・大阪高裁令和2年9月10日判決  禁固1年6月
(審級:大阪地裁H28.8.24判決、大阪高裁H29.3.16判決(破棄差戻)、最高裁H30.2.27第3小法廷決定(上告棄却)、大阪地裁R1.5.22判決、大阪高裁R2.9.10判決(控訴棄却)、最高裁R3.3.29第1小法廷決定(上告棄却))

低血糖症に対する交通法規上の規制

低血糖症に対しては交通関係法上以下の規制があります。

・無自覚性の低血糖症にかかる運転免許の拒否(同法90条1項1号ロ、施行令33条の2の3第2項)
・病気、薬物の影響による運転等の禁止(道路交通法66条)
・薬物の影響による正常運転困難運転の禁止(自動車運転死傷処罰法2条1号)


低血糖症での意識障害での交通事故の刑事裁判上の争点は


1 注意義務の内容

現在の刑事手続きの枠組みでは、概ね以下の注意義務違反により過失の有無が判断されています(危険運転致死傷罪については今回は割愛します)。

①運転を開始する時点で運転を避止する義務
②運転中に意識喪失に陥る前兆を感じた場合に運転を停止する義務


2 具体的な争点


本件もこれまでの近時の裁判例も、低血糖により意識障害を来し安全な運転ができないことを予見できたか否かが激しく争われています。
予見可能性の判断要素としては、病態及び病歴、意識障害歴や運転時の支障の有無、医師の指示・指導内容、従前の低血糖等の病状の管理方法、事故前の飲食の内容、事故前の血糖値及び管理・処置方法、前兆症状の有無等になります。

本件(神戸地裁令和5年11月7日判決)の内容


1 本件の事案の概要


本件の被告人は、午後6時半まで焼肉店で外食したのち、測定器を忘れたので自己判断でペン型インスリン製剤(ノボラビット)を18単位注射し、午後8時40分頃運転を開始し、この間、いつものように490ml入り乳酸菌飲料1本を飲用したものの、午後9時29分に意識朦朧状態になり、中央車線を逸脱し対向車と衝突し、対向車乗員3名に傷害を負わせました。


2 裁判所の判断のまとめ


本件では被告人は無罪とされましたが、その理由として、以下の点が挙げられています。

・(運転停止義務違反について)意識喪失に至る前に蛇行運転をしたが、その際に何らかの初期症状を感じていたことを直接認める証拠は存在しないし、被告人は初期症状を感じずに中枢神経症状に至った可能性がある。

(以下、運転避止義務違反について)
・低血糖に至った原因は、注入したインスリン量が過剰であったとしつつ、食事量から血糖値を推定すると夕食時に追加したインスリン量が明らかに過剰であったとはいえないし、主治医も多すぎるとまでは言えないと述べていること(推定される必要量3~3.5単位程度、摂取量18単位)。

・主治医から追加インスリンを過剰に注入しないよう指導を受けていたとしつつ、意識障害を生じたのは約7年前の1回だけであること、自動車運転時に意識障害を生じたことも初期症状を感じたこともないこと、外食後に低血糖状態になったこともないことから、被告人には追加インスリン量が低血糖に陥る可能性がある程度に過剰であると認識することは困難。

・インスリンポンプを装着しておらず、血糖値の測定器も携帯しておらず、自己の経験等によって追加インスリン量を決定したが、本件追加インスリン量は明らかに過剰であったとはいえない。

・主治医から血糖値を測定できない場合でも運転を禁じられていたものではなく、低血糖にならないように糖質を摂取して血糖値を上げる措置を講じていれば自動車を運転することも許容されていた。


弁護士丹羽の見解


結論としては、弁護士丹羽はこの判決に否定的です。

糖尿病患者の方が運転中に低血糖になり運転困難なほどの意識障害が生じた場合、平成24年の水戸地裁の事例で死亡者3名、負傷者4名という結果が生じたように、重大な死傷結果をもたらす可能性がある極めて危険な行為といえますし、場合によっては危険運転の成否が問われる危険運転致死傷罪の一類型とされています。
本判決のように、被告人の注意義務を緩く解することは、類型的に死傷結果が想定される過失行為であることや社会の安全上妥当ではないと思います。

また、このような事案では、これまでの意識喪失歴やその時期、及び、その内容が予見可能性の判断で重視されますが、仮にそれまで血糖値を管理できていたとしても、病状は常に進行していきますし、実際に意識喪失に陥り事故を起こした以上、過度に従前意識喪失歴がなかったことを重視すべきではありません。

さらに、この判例では、自己判断のみに基づき過剰なインスリンを投与したことを認めながら、投与したインスリン量が明らかに過剰ではなかったとした点に問題があると思います。
そもそも、実際に低血糖を生じている時点で量的には明らかに過剰であったといえるはずですし、血糖値は食事量、運動量、体調によっても異なってきますので、自己判断で正確な血糖値を把握することは難しく、さらには自己判断に委ねると慣れや軽信も生じてきます。

そして、過剰性の認識可能性についても、外食での焼肉という非日常的な高カロリー及び糖分を含む多種多様な食品の飲食という状況では、これまでの被告人の経験がそのまま当てはまり、適切に血糖値管理ができる状況下であったとは言い難い面もあります。
他方、被告人は高血糖を嫌い追加インスリンを過剰に注入する傾向にあったことから、医師からも追加インスリン量が過剰にならないよう指導されていたとのことです。
それにもかかわらず、十分な判断ができない外食での焼肉という特別な状況下において、自己判断のみに基づいて過剰なインスリンを投与したとしても、被告人に過剰さの認識可能性がなかったという点は是認し得ません。


糖尿病に苦しむ皆様へ


要するに、この判決は許容される自己判断の幅を広く許容した判決といえます。
確かに、国民病とされ誰もがり患し得る糖尿病患者の自己決定権や自動車の運転の自由を広く認める判決として、Ⅰ型Ⅱ型問わず糖尿病に苦しむ大変多くの患者の皆様にとっては安心できる内容かとは思います。
日本糖尿病協会ペイシェントサポート委員会も、「本来は測定器を携帯し、測った上で投与するのが望ましいが、測れない状況はどうしてもあり、その際は自身の判断に基づいて投与量を決めている。判決では、こうした事情を『医師の指導の範囲内』と認めてくれた」と歓迎しています。

しかし、いったん運転中に重症低血糖に陥った際には大変な事態を生じることに全く変わりはありませんし、糖尿病患者の皆様が自損事故などで被害に遭うことも含め、いつ何時重症低血糖で意識を失った車が飛び出してくるか気を付けて外を歩かなければならない事態に後押しをしかねない判決であることも事実です。

この判決は糖尿病患者の皆様に、重症低血糖に陥る可能性がある場合でも運転することを奨励するものでも免責するものでも全くありません。
本件でも民事では無過失であるということは難しいでしょうし(民事では自賠法上無過失の立証責任が加害者側に課せられます)、この刑事判決も控訴される可能性は十分あると思います。

糖尿病を患う方が激増しつつある現代社会では、今後もこのような事故が多発する恐れがあります。
交通事故被害者側の弁護士として日々凄惨な交通事故被害に向き合っている立場としてましては、薬物療法により血糖値管理をされている方は、この判決を機として一層慎重に血糖値を管理していただき、車を運転する際には細心の注意を払い、異変を感じたらすぐに運転を中止するようにしていただきたいと心から願っています。


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